教えて?知りたい!水のこと 一般社団法人 全国上下水道コンサルタント協会 関西支部

水道・下水道の歴史

水道の歴史

昔は川やわき水や井戸から水をくみ上げ、それを炊事(すいじ)や 飲み水に

使っていました。しかし、一ヵ所の土地にたくさんの人が

集まると、 水が足りなくなります。

日本に水道と呼ばれるものができたのは、徳川家康(とくがわいえやす)が江戸に

幕府(ばくふ)をひらくとき、たくさんの人々に水を供給(きょうきゅう)するため、

小石川上水(こいしかわじょうすいというわき水を水源とした水道施設(しせつ)を作ったことが

はじまりと言われています。

その後、人口がふえて、 小石川上水だけでは間に合わなくなり、遠く

多摩川(たまがわ)から水をひく玉川上水(たまがわじょうすい)というたいへん大規模(だいきぼ)

水道施設(しせつ)が作られました。
さらに人口が増えていくと、次第に水が(よご)れていき、

コレラという伝染病(でんせんびょう)が発生し、たくさんの人が死にました。
そこで、イギリス人の技術者(ぎじゅつしゃ)に協力してもらい、

1887(明治20)年、 神奈川(かながわ)横浜(よこはま)市にはじめて

野毛山浄水場(のげやまじょうすいじょう)誕生(たんじょう)しました。

東京では 1898(明治20)年に淀橋浄水場(よどばしじょうすいじょう)

京都では1912(明治45)年に蹴上浄水場(けあげじょうすいじょう)が作られました。
今では、日本では97%以上の人々が水道を利用できるように

なっています。

参考文献:PHP研究所「おいしい水をとりもどせ」

  • 明治時代。。ぼくたちのおじいさんのおじいさんが
    生まれたころに、水道ができたんだって!

下水道の歴史

下水の排水(はいすい)(あと)は、弥生(やよい)時代(約2200年前。

米作りがはじまった時代)の大きな集落に見ることができます。

奈良(なら)時代(約1300年前。奈良(なら)の大仏が作られた時代)の

平城京(へいじょうきょう)には、(あみ)の目のような排水路(はいすいろ)

街の中に作られていたそうです。

安土(あづち)桃山(ももやま)時代(約400年前。日本各地で戦国大名を中心とした

武士(ぶし)たちが(あらそ)いをくり返していた時代の終わりごろ。織田信長(おだのぶなが)

豊臣秀吉(とよとみひでよし)活躍(かつやく)していた時代)には、大阪城の城下町に

太閤下水(たいこうげすい)が作られ、今でも使われています。

当時は写真のような天井のふたはなく、(みぞ)のまま使われていました。

明治時代に、(みぞ)の上に道路が横切るため石のふたがとりつけられ、

現在のような形になりました。

太閤下水

出典:(公社)日本下水道協会ホームページ

  • 昔の下水道は、雨水を流すもんとして
    作られてんな。 おしっこやうんち(し尿(にょう))は、
    農作物を育てるための肥料(ひりょう)として
    使ってたんやで。

明治時代(1884年、明治17年)、日本人によってはじめて

下水道「神田下水」が作られました。

そして大正時代(1922年、大正11年)には、日本初の
下水処理場(しょりじょう三河島処理場(みかわしましょりじょう)」が作られました。

その後、昭和になって第二次世界大戦のあとは、()れはてた

日本の国土や人びとの生活をもとにもどそうと、より良い世の中に

発展(はってん)していきました。

しかし、川・海・空が(よご)れ、いやなにおい(悪臭(あくしゅう))や

音(騒音(そうおん))がふえ、環境破壊(かんきょうはかい)(公害)がすすみ、

社会問題となりました。

このとき、川や海の(よご)れやにおいをへらす対策のひとつとして、

下水道は急速に整備(せいび)されていきました。

下水道は、街の中をきれいにするだけでなく、川や海の汚れをふせぐ

環境保全(かんきょうほぜん)という大事な役割(やくわり)を、もつようになりました。

神田下水 当時の三河島処理場

出典:(公社)日本下水道協会ホームページ

・ 京都府京都市キッズページ
       「水道の歴史」「下水道の歴史
・ 大阪府堺市(さかいし)上下水道キッズページ
        「堺市(さかいし)上下水道の歴史
・ 水のめぐみ館「アクア琵琶(びわ)滋賀県(しがけん)大津市(おおつし)
・ 琵琶湖(びわこ)疎水(そすい)記念館(京都府京都市)
・ ウォータープラザ(大阪府高槻市(たかつきし
・ 下水道科学館(大阪市)
・ 水の科学博物館(兵庫県神戸市)
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